働く母の考え事
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ひとりPTA研究部、創部
なんと…
今年、中学校のPTA役員(しかもいきなり学級代表&学年代表)を引き受けてしまいました。
他にやる人が誰もいなかったので。そして今年は学校生活7年目にして初めて、乳児の世話や保育園送迎や年度内の引っ越し予定がなく、さらに自分の都合で有休をとっても大丈夫そうな職場に勤めているので!(でも有休日数は限られてるので、出られる会議・出られない会議を予め決めて、出られないものは他のメンバーにお願いしたりと、ギリギリの参加…)

やり始めてみるとやっぱり、今までモヤモヤしていたようなことが、本当にモヤモヤしてそこにあります(笑)
そしてこれをこのまま来年に引き継いでしまうと、やっぱり私は今後も参加できない立場でいるしかないんじゃないかという気が…
なので、まず今年は、自PTAの実情を調べる(来年はどの係なら引き受けられるのかという視点で)ことをメインに活動してみようと考え、「ひとりPTA研究部」を立ち上げました。
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気力は無尽蔵ではない
またしても転職しました。
札幌で、元の仕事のキャリアを生かして正社員として勤めるならここしかない、という会社に運良く入って2年弱頑張りましたが、残り20年をそこで頑張り続けることはできませんでした。

すごく、つらかったです。同業他社とはいえ実際の仕事はやったことのないことばかりで負担が重かったこと、経営状態が悪く一つ一つの仕事へのプレッシャーが大きかったこと、仕事が多すぎて今まで味わったことがないほどの間に合わない感に常に追われていたこと、数人しかいない社内に私の悩みを聞くとか仕事のやり方の相談どころか日常会話すらまともに取り合ってくれる人がいなかったこと…
本当に、つらかった。
入社1年半位で、夜眠れなくなったり、通勤途中に涙が流れたり、仕事が手につかなくなったりして、退職を決めました。頑張ればやり遂げられるのかもしれない、我慢や努力が足りないのかもしれないと思っていた時期もありましたが、転職して1カ月経った今はそれは思い上がりなんだと悟りました。あの状況において、私の持っている能力と時間で、誰の協力も同情もなしに、一人であの潰れそうな会社を回復させて維持することは、できませんでした。「頑張る」というエネルギーを、自分は無尽蔵に持っているかのように錯覚していましたが、そうではないことにはっきり気がつくことができました。

しばらく、挫折感でいっぱいでした。地域的に同業他社は他にないし、年齢的にも正社員として入れる最後のチャンスだったかもしれないし、今回の退職は人生最大の挫折だなんて思っていました。
でも、友達に言われて気がつきました。
あれは、始めから無理だったんだと。
気力が無尽蔵ではないことに気づいていなかったから無謀にも挑戦してしまったけれど、実際には体が一つしかないのと同じように気力もある量しかもっていないのだから、頑張ればできたかもしれないという考えは適切ではないのだ、と。
だから、挫折じゃなくて、トライ&エラーの一つってことで。人生のたくさんの試みのうち、偶然うまくいかなかったことの一つです。

計画して、努力して、成し遂げて…というプロセスを放棄するわけではないし、未来への希望を捨てるわけでもありません。ただ、そういう計画通り、願い通りにいくのが当たり前だと、傲慢に構えることはもうしないでしょう。
今ここにこうして生きているのは、計画や願いが実現した部分よりも、人の力の及ばない偶然に支配された結果がほとんどだと思います。偶然の出来事だからこそ心を揺さぶられるし、そういう奇遇に触れたときにこそ、生きてて良かったなって、感じる気がします。

しばらくぼんやりと過ごしてしまいましたが、ようやくだいぶ気力が戻ってきたみたいです。
戻った気力を利用して、私を思いっきり邪険にしやがり一番気力を消耗させてくれた上司の机の写真をupして公開処刑させていただきます。この一枚がすべてを物語っていると思います。
大学名だけで国公立か私立かを判別できるか
stabuckyさんの"国立ではないのに都道府県名の付いた大学"(You Look Too Cool)を読み、私も興味がわいたのでちょっと調べてみました。
努力だって裏切ることもある
中学受験が終わる季節、我が家の6年生は公立一択でのほほんと過ごしてましたが、東京の友達は悲喜こもごもがあったようでした。
「第一希望に受からなくて、『今まで何のためにあんなに我慢ばかりしてきたんだ、全部無駄だった、受験なんてしなければ良かった』って荒れてさ…」
そんな話を聞くと、やっぱり現代に生きる我々には「苦労は報われる(はずだ)」という呪いが強くかかってるんだなあと思います。そして体力筋力運動センスのある子に対してひたすらトレーニングすれば勝てるかって言うとそうでもないってのはみんな納得いくのに、自分より知能指数高くて勉強センスある子にひたすら勉強すれば勝てるかって言うとそうでもないってのには、納得がいきづらいんだな…とも思います。
だから勉強なんてムダだなどとは決して思いませんが、受験の勝敗も中体連の勝敗ぐらいに時の運だったり決して勝てない相手だったりするので、そんなに結果を因果で考えない方がいいのになとは思います。
なぜこんな風に、勉強に関してだけは努力量に比例して結果が出るかのような誤認があるんだろう…と考えてみると、現代の給与労働の構造が勉強による序列で整理されているからなのかなと思い当たりました。勉強で勝ち抜いた人達が時給の高い仕事や自己効力感の高い仕事に就くことができ、勝ち抜けなかった人は発展性の低い安い仕事に就く。そういう価値体系に置かれているので、結果的に勝ち抜いて有利な立場に立った人達が、自分達の報酬を正当化するために、勝ち抜くことができたのは相応の努力をしたからだという因果関係を喧伝する。まあそこまでの確信犯でないにしろ、自然発生した誤解、勉強すればした分だけ頭が良くなって良い大学に入って良い仕事に就けるという好都合な思い込みを、彼らがわざわざ正す必要なんてあるわけがないのは確かです。
でも、これから、変わっていくんじゃないかなと思います。勉強はできたのに、社会的に得することができなかった人達が、今大量に生み出されてますから。
そもそも頭の良さだけが人間の価値じゃない。貨幣価値に換算できる能力だけが価値じゃない。
お金がなくても満足して生きられるか。これが私の後半生のテーマです。
スマホを使う前に知っておきたいことbyずな子
前々からスマホが欲しい欲しいと言われていて、ずーっと「まだ早いよ」となだめてきたのですが、クラスで持ってない最後のひとりになったー!! 中学行って友達と別れる前にメアド交換したいー!! お年玉で自分で買うからーー!!! と懇願されて、じゃあまあ、そろそろいいか…ということで許可することにしました。
ただし、冬休みの自由研究でスマホについてレポートすること、という条件をつけて、親子で一緒に「子どもが初めてスマホを持つときに知っておいた方がよいこと」を調べました。
最終的にずな子は画用紙を使ってレポートを完成させました。それがまあまあ良くできていたので、折角だし何かの形で保存・公開したいなと思い、ずな子のレポートをもとにパワポ資料を起こしてみました。Slideshareにアップしようと思ったら、新規登録はLinkedInに登録しなきゃならない仕様になっていて、それはめんどくさいのでやめて、
パワポ→JPG保存→ブログ直貼り
という方法で公開することにしました。「続きを読む」からどうぞ。マウスオーバーで吹き出し追加画像が出ます。…やっぱちょっと見づらいか。

最後のページに掲載した参考書・参考URLを、以下に改めて示しておきます。
★書籍(6年生が自分で読める本)
*藤川大祐『12歳からのスマホのマナー入門』大空出版、2014年、192ページ
*金城学院中学校高等学校編著・今津孝次郎監修『中高生のためのケータイ・スマホハンドブック』学事出版、2013年、96ページ
*小林直樹『わが子のスマホ・LINEデビュー 安心安全ガイド』日経BP社、2014年、160ページ
★ウェブサイト
*総務省「インターネットトラブル事例集ダウンロードページ
*情報教育研究所「ケータイ・スマホを持つ前に学ぶこと
*電気通信事業者協会「家族のケータイルール
*岡山県「ケータイ・スマホの正しい使い方/ルールを作ろう
*トレンドマイクロ「インターネットセキュリティナレッジ
逃げ恥の最終回より
ドラマはほとんど観ないけど、「逃げるは恥だが役に立つ」はたまたま目にして何となーく引っかかり(今調べたら初視聴は4話)何となーくまだらに観て、久々に面白かったです。メインの二人だけでなくバリキャリお姉さんの恋にもやけに共感するところがあって、素直にキュンとくるお話でした。昔、ドラマを面白いと思って観てた頃の気持ちを思い出しました。
最終回のセリフがこれまた共感しきり。

「それなら家事は全部私がやります。しかしそれはボランティアです。あくまでボランティアなので、ご飯作りたくないなと思ったら作らないし、掃除したくないと思ったら掃除しません。ボランティアだから、ご飯ないんですかとか言わないでほしいし、部屋が汚いとか言わないでほしい。だってボランティアだから、仕事じゃないから。」
男女の家事分担の不均衡を一言で言ったらこれ。たいていの夫婦において、夫の家事はボランティア、よくてアルバイト。したいときにしたい分だけすればよく、しなくても責められない。逆に妻は家事の正社員として、業務の遂行や完成度に責めを負います。それでいて、報酬は特にない。やって当たり前。旦那様が稼いできたお金で生活させていただいているのだから、旦那様の暮らす家を日々整えるのは当たり前。つまり妻の家事労働への報酬は、妻の生活そのものということか。衣食住の維持にはお金の他に家事労働がいるけど、旦那様はお金さえ提供すればあとは何もせず快適な生活を享受するのが当然で、妻は膨大な家事労働を引き受けてもその報酬が衣食住そのもの?旦那様の労働には金銭的報酬があって、旦那様は家事労働を金銭によって免れる一方で、妻の家事労働は金銭的に無報酬でも当然?…なんかおかしいぞ。
まあそんなねちっこく書かなくても、昭和の時代にみんなして盛大に勘違いしてただけだって、だいぶ気づかれてきたと思いますけどね。そもそも共働きじゃ、前提からして完全に破綻してるし。

「うまくいかない時、待っていてくれる人、信じてくれる人。見失っちゃいけない。立て直そう、ひとつひとつ、立て直そう、ゆっくりでも。」
夫婦のことって、この通りだと思います。健やかなる時に一緒に楽しく過ごせるのは当然で、誰が相手でもまあ同じ。じゃなくて、病める時、うまくいかない時に、一緒に辛抱してくれる、辛抱してあげられる。そっちの方が大事なことで、そっちの方に注目しなきゃならないんだと思います。

「たくさんの道の中から、思い通りの道を選べたり選べなかったり。どの道も面倒くさい日々だけど、どの道も愛おしい日もあって、逃げてしまう日があっても、深呼吸して別の道を探してまた戻って。いい日も悪い日も、いつだってまた火曜日から始めよう!」
面倒くさくても愛おしい、いい日も悪い日もある、それこそが家族。わかるなあ。

いつだって、また一から始められる。一緒に。
うんうん。
…って、今本当に一から仕事探し始めようとしてるからなあ(汗)
2017年もまた苦労しそうです、トホホ(´д`;)
SNS卒業
2016年末でfbをやめることにしました。
最大の理由はメッセージが読めなくなったこと。前はブラウザでfbにログインすれば見れたのに、今はメッセンジャーアプリをインストールしてログインしないと読めない。私のスマホはデータ通信専用で電話番号は休眠しているので、ログイン認証ができず、メッセンジャーアプリが使えないのです。
そうすると、いちばん期待していた「直接の連絡先を知らない人との連絡ツール」としてはもう使えないことになり、開いておく意味があんまりないなあと。

もう一つは、来年、少し大きく「降りる」決意をしているからです。フルタイム正社員としてめいっぱい背伸びして働く生活から一段降りて、収入が減ってももう少し時間と気持ちに余裕を持てる働き方をしようと。
この4年間夫が引き受けてきた保育園の送り迎えが来春いよいよ終わり、夫が少し収入を増やせそうな見込みとなったので、もう「私が家計を支えなければ」と悲壮な覚悟で無理して勤めるのはやめることにしました。
でも、私が正社員をやめれば世帯収入は減ります。生活レベルを大きく落とすほどではないと試算していますが、fbで同級生や元同僚が披露しているような、余裕のあるお金の使い方はできないと思います。

fbって何気に経済的背景が丸見えなんです。その、見たくないけど見ちゃった感、見せようとして見せてるのかな感が、どうにも居心地が悪くて…。こうなると、もはや気軽に投稿する気にはなれません。
投稿せずにただ眺めていても誰も何も言わないでしょうし、見たくなければログインしなければいいだけなのですが、いっそのこともう投稿しないし見ることもないと明確に意思表示したい。つまり自分について「fbのアカウントをもっていない」というメタ情報を表示しておきたいのです。

この10年で、3つの町に暮らし、職場4つを渡り歩き、4つの保育園と3つの小学校にお世話になって、たくさんの出会いがありました。こうして何度も新しい人間関係に身を置いてみると、人との縁ってタイミングだなと思います。その時々で、たまたま近所だったり家族構成が近かったり、性格の相性がよかったり同じ悩みを抱えていたりして、なおかつお互いお付き合いする余裕があれば、心安らぐ交流ができる。逆に、仲良くなれそうでもタイミングが合わなければ付き合えません。
fbでメンテナンスしている過去のご縁も、いつかまたリアルでお付き合いできるかはタイミング次第。近況を中途半端に知ってるからといって、今後の縁が深まるかどうかには影響しないように思います。

会って話す、電話する、手紙を書く、メールを書く…。私にはこれが相手に触れたと思える限界で、SNSのうえではどうも余計遠くに感じてしまうようです。
下り坂を感じる
四十路の心身が、実はけっこう重たいものなんだと、最近気がつきました。同じように働き、同じように食べ、同じように寝ているつもりなのに、以前に比べなんだか気力が落ちているし疲れが増している。頭の働きや記憶力も前の方が良かった気がする。そうか、これが「老い」というものか。
かくして何の疑問もなく若さを享受していた時期が終わってしまうと、当たり前だと思って万全の心と体を駆使していた過去の自分に対し、ちょっと呆れるというか、戻ってこの未来を知らせたいような、いや知らせたくないような、苦い思いが湧いてきます。こうして劣化を自覚している間は、居心地の悪い思いをしなければならないのでしょう。でもたぶん、ある程度劣化が進むとその状態でしばらく定常化するでしょうから、そこまでいけばまた新しい心身状態に慣れて、それが当たり前になる、その繰返しではないかと。衰えた体が衰えた心に慣れるのか、その逆かはたまた両方か、よくわかりませんが「これが私なんだ」と納得できればそれが当たり前の日常になるのでしょう。

前のエントリ以来、遺言のことを考えています。このブログは赤ん坊の観察日記として始めましたが、そんな毎日成長があってずっと上り坂なテーマは一生において例外的なものだと思います。人生には常に山坂があり、むしろ下り坂の方が、向き合う時間は長いはず。
これまでに見た闘病ブログや遺言エントリには、苦悩と向き合って導き出したその人なりの答えがにじんでいました。後に続いて下る私にとってすごく重要なヒントだと受け止めました。

旦那さんを亡くした友達は、その胸の内を「これまでの人生で感じたことのない感情」と言いました。それは私にはうかがい知ることができませんが、そういう感情があるということを教えてもらって、ありがたいと思いました。そして私自身も、いろんな些細な「人生初の感情」を感じながら、まだ、生きています。昨日の私と今日の私と明日の私は少しずつ違っていて、私の今日が今ここにあることを、こうして書いて確認している最中です。

…やっぱり、遺言は本当にそのときを悟ってから書くことにして、ここには私の「人生初」の足跡を残していくことにしよう。
悲しみの果てに何があるかなんて
エレカシは、見かけたり耳にしたりすると嬉しい程度には好きだけど、CD買ったことはないです。すんません。
「悲しみの果てに何があるかなんて 俺は知らない 見たこともない ただあなたの顔が浮かんで消えるだろう」
今、この歌がずーっとループ中。十数年のお付き合いになるずな子の親(おや)友達が死んでしまったから。奇遇にも同郷で高校も同じで、歳は一回り上だったけど親友達の中でも特に気が合うと思ってた、いつも優しく温かく接してくれた大好きな友達でした。今も頭の中に、のんびりした低い声をいつでも再生できるくらい、親しみ深い友達でした。聞いた夜はいつまでも涙が止まらなくて、翌朝顔がひどいことになってしまいました。
私がこんなに悲しいのだから、家族の方々はどんなにつらい思いをしていることか…
悲しみの果てに何があるのか、悲しみにちゃんと果てがあるのかどうかすら良くわかりませんが、この世の苦悩をひとときでも忘れさせてくれるのは、結局は縁あって今そばにいる人達なんだろうなって思います。迷惑にならない距離感で、寄り添えたらなと思います。

でも、私が先に死ぬ番が来たら、残った人には悲しまないでほしいなあ。悲しまなくて済むような、読み返すたび笑っちゃうような遺言を書けないものか。。。
ランドセル価格爆上げの理由
こないだ生まれたと思ってた末子にも、いよいよランドセルを準備するときがきました。長女のときずいぶん調べて気に入って決めたフィットちゃん、実際使って快適そうだったため長男にも購入し、今回ついに三つめです。(すでに比較検討がめんどくさいという話も…)
6年前に比べると時期がずいぶん早いのですが、ぼやぼやしているとシンプルで安いモデルが売り切れてしまう可能性があり、今注文しても届くのは半年近く先なので荷物になることもないと考え、思い切って注文してしまいました。以下、注文時のメールをたどってみました。

■6年前(長女) 注文時期は11月末、到着は12月上旬
 商品番号:FIT101
 ご注文商品名:フィットちゃんランドセル FIT-101 チェリー
 単価:¥29,800
※当時はこのぐらいの時期に買うのがふつう。11月でも品物は十分あった。
 値段的にはこれは廉価な方(シンプルで飾りのないタイプ)で、当時の最多価格帯は3万円台。

■2年前(長男) 注文時期は10月中旬、到着は10月下旬
 商品番号:FIT-205_82
 ご注文商品名:プレミアムフィットちゃんランドセルグッドボーイ(クロ×ブルーステッチ)
 単価:¥39,900
※上の子のときのタイミングでのんびりしてたら完全に出遅れて、廉価版のクロは既に売り切れ。
 仕方ないので若干お高いデザインもの(カラーステッチ)を選択。4年で5000円ほど価格が上昇している印象。

■今年(二男) 注文時期は6月下旬、発送予定は11月中旬
 商品番号:FIT-205_72
 ご注文商品名:プレミアムフィットちゃんランドセルグッドボーイ(クロ×アカステッチ)
 単価:¥39,900
※「黒赤のランドセルがいい」と言うので、長男と色違いのアカステッチにした。
 6年前はA4クリアファイルが入るのが売り文句だったが、近年はA4のフラットファイル(バインダーみたいなやつ)が入る大きさにサイズアップし、それと同時に値上げされている。
 そのためこのランドセルは現在は型落ち廉価版の位置づけ。現在の最多価格帯は4万円台。

消費税が5%から8%に上がったので、それだけでも1000円程度上乗せされるとはいえ、この6年で実感として15000円くらいの値上げです。子どもの数の減少だけではこの急上昇は説明できないでしょう。いったい何でなのか?!

調べてみたところ、どうやらジジババから金を引っ張ろうという魂胆があるようです。
言われてみれば、先日長女の水着を買いに行ったのですが、今年はイオンやヨーカドーの水着までが「4点セットで7900円」みたいなのばっかり!タンキニ上下+ショーパン+Tシャツみたいなリゾート気分のデザインで、体育で着るのにセパレートは良くないし、セットのTシャツとかサロペは学校のプールじゃ全然いらないのに、商品の半分位がこのタイプ。年に数回しか必要なくて、かつ1年で着られなくなる可能性大なんだから、そんな高いものも買えないし…。そんな親の苦悩を尻目に、やっぱり女子、一目見てものすごーく欲しがってました。
我が家は初めから5000円以下と決めて買いに行ったので、モメつつも説得してシンプルなタイプを購入しましたが、この他にも小学校の卒業式で振袖を着る子が増えているとか、祖父母の財布があればこそ、子ども同士の見栄の張り合いが加熱しているんだろうなあと思いました。
嫌な風潮ですね…。
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