働く母の考え事
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「だったらいいな」と「であるはず」
子供を育てていると、「思い通りにならないこと」について考えさせられる場面が多くあります。
親が子供を自分の思い通りに動かしたり、思い通りに育てたりすることができない、というのもありますが、今から述べるのは、それよりも子供自身が想像の世界と現実の世界とのズレに戸惑う場面についての話です。
子供の内面の世界は、基本的にけっこう自分にとって都合のいい世界のようです。算数の問題には一発で簡単に解ける方法があって、それを親は知っていて自分も説明さえ聞けば30秒で理解できると思っていますし、サッカーの試合ではチームメイトがいいパスをくれさえすればかっこよく鋭いシュートを決められると思っていますし、昨日までおしっこチョビってても今日は絶対チョビらないはずだと思っています。現実にぶち当たったときの彼らのリアクションから、ぶち当たる前の彼らの内面を想像すると、いかにもそんな感じです。
ずっと昔、ずな子が3歳位の頃、テレビに無重力体験の様子が写っていて、それを見ていたずな子が「ちょとまっててね、ちょといってくるから」とテレビの前に行って大きく尻餅をついたときのことを思い出します。ドシン、ぽかーん…なぜ浮かないの??と、しばらくキョトンとしていました。
小さければ小さいほど、想像と現実の違いを予測・実感・納得できないんだろうと思います。小さい子の癇癪の多くは、そのギャップからくるのでしょう。大人からすればハァ?と思うことに対し、至極真剣に怒ってますからね。なぜ、思い通りにならないのだ!!と、(大人にとってはならないのが当たり前のことに対しても)本気の怒りをぶつけているのでしょう。

この傾向は、長じても、変わりません。徐々に理解はしていますが、完全になくなることはありません。何しろ、この私の中にも、まだ残っているくらいですから。
「○○だったらいいな」という思いは、当然いくつになってもあるけれど、想像と現実の違いをたくさん経験するにつれて、自分で想像の方を修正できるようになっていきます。…なっていかなければならないところです。だけど実際には完璧なコントロールは難しいんですよね。しっかり自覚していないと、いつの間にか「だったらいいな」が「であるはず」にすり替わってしまいます。そうなると、想像と現実が違って困惑を覚えたときに、いつまでも「であるはずだ」に留まってしまって、効果的な対処の仕方を見つけることができません。気持ちの落としどころが探せないし、現実に立ち向かうことができません。
このように考えると、理不尽な怒りをぶつけてくる人は、私が直面している現実とは違う現実を見ているのだろうと思われます。私にとっての「理」とは違う「理」に従った現実の中にいるのだろうと。そんなとき、できることなら互いに言葉を尽くして、互いの「だったらいいな」の世界から踏み出し、世界の一部を共有できるように、コミュニケーションを図れたらいいなと思います。どちらが真実という問題ではなく、共有できる世界を見つけることに価値を置いて。それこそが、他人と共に生きることの醍醐味だと思います。

みんな、内面にはそれぞれまったく異なる世界を持っています。誰もそこから出ることはできません。だけど、共有できる部分を探りながら相手の内面世界を覗き見れば、自分の世界を広げられるし、「独りではない」という喜びが得られます。
だから、子供達には、おおいに想像と現実の違いを感じてほしいと思います。そのギャップに怒りがわいたとき、どうやって折り合いをつけるのかを考え、まったく異なる世界に生きる他人と世界を共有していく方法を考えてほしいと思います。
私自身、まだまだ、試行錯誤中ですけどね。
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