働く母の考え事
努力だって裏切ることもある
中学受験が終わる季節、我が家の6年生は公立一択でのほほんと過ごしてましたが、東京の友達は悲喜こもごもがあったようでした。
「第一希望に受からなくて、『今まで何のためにあんなに我慢ばかりしてきたんだ、全部無駄だった、受験なんてしなければ良かった』って荒れてさ…」
そんな話を聞くと、やっぱり現代に生きる我々には「苦労は報われる(はずだ)」という呪いが強くかかってるんだなあと思います。そして体力筋力運動センスのある子に対してひたすらトレーニングすれば勝てるかって言うとそうでもないってのはみんな納得いくのに、自分より知能指数高くて勉強センスある子にひたすら勉強すれば勝てるかって言うとそうでもないってのには、納得がいきづらいんだな…とも思います。
だから勉強なんてムダだなどとは決して思いませんが、受験の勝敗も中体連の勝敗ぐらいに時の運だったり決して勝てない相手だったりするので、そんなに結果を因果で考えない方がいいのになとは思います。
なぜこんな風に、勉強に関してだけは努力量に比例して結果が出るかのような誤認があるんだろう…と考えてみると、現代の給与労働の構造が勉強による序列で整理されているからなのかなと思い当たりました。勉強で勝ち抜いた人達が時給の高い仕事や自己効力感の高い仕事に就くことができ、勝ち抜けなかった人は発展性の低い安い仕事に就く。そういう価値体系に置かれているので、結果的に勝ち抜いて有利な立場に立った人達が、自分達の報酬を正当化するために、勝ち抜くことができたのは相応の努力をしたからだという因果関係を喧伝する。まあそこまでの確信犯でないにしろ、自然発生した誤解、勉強すればした分だけ頭が良くなって良い大学に入って良い仕事に就けるという好都合な思い込みを、彼らがわざわざ正す必要なんてあるわけがないのは確かです。
でも、これから、変わっていくんじゃないかなと思います。勉強はできたのに、社会的に得することができなかった人達が、今大量に生み出されてますから。
そもそも頭の良さだけが人間の価値じゃない。貨幣価値に換算できる能力だけが価値じゃない。
お金がなくても満足して生きられるか。これが私の後半生のテーマです。
スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック